鎌倉三十三観音霊場巡礼記−2

第七番〜第十五番



 第七番 岩蔵山 光触寺 (時宗) 聖観世音      

 

 

 頬焼阿弥陀、塩嘗地蔵といった民話(伝説)に富んだ仏像があるお寺です。   時宗に改めた13世紀後半、広大な境内に諸堂が並び、客殿に後醍醐天皇直筆の「光燭寺」の扁額がかかる勅願寺として栄えていたそうです。   

 

 

 仏師運慶作の頬焼阿弥陀の頬焼の由来は、盗みの疑いをかけられた法師が頬に焼印を押され、法師に信心されていた阿弥陀如来像が、その身代りとなったことにあります。
 阿弥陀如来像の焼けた頬に金箔をはり直しても、そこだけ剥がれてしまったと伝えられています。1215年にこの阿弥陀様のために建てられたお寺で、当時は真言宗。その後、一遍上人に帰依して時宗に改宗。
 本堂。拝観するには予約が必要です。

 

 

 なんといっても山門をくぐる時から目立っている一遍上人の像。大きくて迫力あります。   境内の塩嘗地蔵は、昔、塩の道だった金沢街道を通る塩の商人がお供えした塩をこっそり嘗めたという伝説のあるお地蔵さまです。 

 本堂前にある貼り紙の文面などやや閉鎖的で、納経については見当たらず。本堂横の木戸には「法事以外の入所禁止」の貼り紙が。悩みながらも木戸を開けて入り、玄関のインターフォンを押しました。納経のお願いをすると、本堂で待つようにと指示されたのでそちらへ。閉鎖的な雰囲気からビビッてましたが、ご住職はとても親切で、本堂の扉をあけて出てこられました。写経をおさめ、納経のスタンプの音が聞こえた後、鉦の音が聞こえ、「〜なむあみだぶつ」とお経をあげて下さっていました。その間、扉があいていたので遠目に観音さまをながめました。
 ご本尊は身代わりの由来のある重要文化財の阿弥陀如来ですが、頬の箔がとれて国の命令で京都へ修復に出したところとのこと。お戻りは2年後の2009年5月の予定とのことでした。

 2009年5月、鶴岡八幡宮の宝物館で「鎌倉の至宝展」が開かれ、修復された頬焼阿弥陀如来像と脇侍の三尊像を、同じ高さに立って拝観することが出来ました。自然に手をあわせたくなるオーラを持つ阿弥陀さまです。展示されていた「頬焼阿弥陀縁起絵巻」も見ることが出来ました。(2009年5月31日)
  
 こちらも納経は志納ですが、細かいのがなくて500円玉を三宝にのせたら200円のおつりがかえってきました。
 納経(志納):300円 お賽銭:10円  2007年8月31日(金)
    
 第八番 飯盛山 明王院 (真言宗御室派) 十一面観世音   

 

 

 1235年、四代将軍藤原頼経開基、八幡宮の別当定豪(弁の僧正)開山で幕府の鬼門除けに建立した、京都仁和寺末の古義真言宗のお寺です。
 壮大な伽藍を持つ幕府の祈祷寺でしたが、幕府滅亡で衰退し、不動明王だけを残して寛永年間(1624〜1643年)に全て焼失しました。
 境内は撮影不可なので門の前から撮影。茅葺の建物が二つ並び、こじんまりとした雰囲気がとても良い感じでした。正面が三間四面の五大堂、左が観音堂です。わずかに開いた扉から中をのぞきみます。お灯明とお線香は志納です。  

 「留守の為」と断り書きがあり、納経の紙が必要な人は1枚300円をおいて取る様にと納経印が数枚おかれていました。不動明王のと十一面観世音のと2種類。大きく貼り紙されていた明王のくりから守りが欲しい場合はどうするのか居留守っぽいのでインターフォンを押すのか、ちょっと気になりましたが  後日、ブログにいただいたコメントにて、不動明王の縁日の28日には賑わうとのことで、そのときに訪れるのがいいと教えていただきました。「留守の為」とあることからインターフォン呼び出しもためらわれ、写経はおさめず、お経をよむだけとなりました。
 納経:300円 お線香・蝋燭(志納):100円 お賽銭:10円 2007年8月31日(金)
    
 第九番 稲荷山 浄妙寺 (臨済宗建長寺派) 聖観世音        

 

 

 鎌倉五山の第五位、1188年に足利義兼が父義康の菩提を弔うために創建。元は真言宗のお寺だったのが、栄西禅師に帰依して禅宗になり、1331年、中興開基といわれた足利貞氏の法名にちなんで浄妙寺となりました。  拝観料100円を払って庭を通ります。とても整備されていて歩き易く、きれいなお寺です。境内には大休寺・延福寺の廃寺跡や足利貞氏の墓と伝わる宝篋印塔があります。

 

 

 道のまんなかでネコが寝ています。他にもネコが庭でくつろいでいました。  本堂の前は芝生。お寺の境内で芝生というのは珍しい気がします。銅葺の屋根も緑で色合い良く、おおらかで静かなたたずまい。中には入れませんが、賽銭箱の前から見る事ができます。お賽銭だけ入れて、脇でお経を唱えます。


 風流な庭を見ながらお茶がいただける茶室があります。茶室脇から山の上へのぼると、大正時代の建物の石窯レストランがあるそうです。お持ち帰りのパンもあるとのこと。今回はパスしました。お庭の手入れをされていた受付の女性に話しかけて、拝観料を払った入り口で写経をおさめ、納経印をいただきました。お持ち帰りのパンの話や、報国寺へこのあと行くのなら門限が近いので急いだほうがいいなど、親切にいろいろと教えていただきました。受付で売っている干支守り。刺繍されている干支がとても可愛くてつい買ってしまいました(可愛い辰ってめずらしいと思う)。
 拝観:100円 納経:300円 お賽銭:10円 お守り:300円 2007年8月31日(金)
    

 第十番 功臣山 報国寺 (臨済宗建長寺派) 聖観世音 

 

 

 鎌倉幕府滅亡の翌年(1334年)、足利家時(尊氏の祖父)が創建、仏乗禅師が開山しました。   本堂に向かう階段をあがった左手に鐘楼があります。鐘はつけません。 

 

 

 本堂です。お灯明やお線香はあげられません。「鎌倉」のバックプリントのTシャツを着ているのは人力車をひいている方々です。  本堂にはあがれず、お姿の拝観もこちらから、ご本尊・釈迦如来と札所ご本尊にお経を唱えます。

 

 「竹の寺」で有名な報国寺。裏に竹の庭があります。本堂左の受付で拝観料の他に、お庭にある茶席の抹茶券を購入。その横の窓に小さな鐘があり、納経をお願いする人は鐘をついてあけてもらいます。納経帳をあずけてから竹のお庭へ。    いつ来ても整備された美しい竹のお庭です。見上げても竹。清清しいです。この先左に茶席・休耕庵があります。鎌倉彫のお盆に載ったお抹茶と落雁を、竹の庭と小さな滝を眺めながらいただきました。 

 

 

 本堂裏手方面、岩肌をくりぬいた大き目のやぐらの中に、足利一族のお墓である五輪塔がならんでいます。永享の乱(1439年)で足利持氏が敗れ、その子の義久が報国寺で自害をしています。   本堂裏へ戻ると中庭が眺められます。竹の庭とは趣が違ってこじんまりした感じです。本堂が開け放してあったので襖絵やかけてある絵がながめられました。足利義久自刃の絵もあり。 

 庭から戻って受付で納経帳を受け取り、預ける時に出し忘れてしまった写経を渡しました。観光(参拝)客がいつも多いので、写真を撮るのに苦労するお寺です。
 拝観:200円 お茶券:500円 納経:300円(志納) お賽銭:10円 2007年9月14日(金) 
     
 第十一番 帰命山 延命寺 (浄土宗) 聖観世音  

 

 

 下馬四つ角から大町四つ角の間にあるお寺です。   元は北条時頼夫人の身代わり地蔵が安置された地蔵堂。後に阿弥陀如来を本尊とした浄土宗のお寺になりました。 

 

 

 その阿弥陀如来は北鎌倉にある円応寺の閻魔大王が刻まれた時の残りの木材で作られたそうです。    わずかな隙間からお賽銭を入れ、中がのぞけます。扉の前でお経を唱えました。  

 ご本尊の地蔵菩薩は、双六に負けて服を脱がなくてはいけなくなった時頼夫人が地蔵菩薩を念じたところ、身代わりにあらわれたというエピソード通り、お姿は裸なのだそうで、「裸地蔵」「前だし地蔵」などとも呼ばれたそうです。赤穂浪士の岡嶋八十右衛門の三男が住職になっており、「義士銘々伝」が寺宝として保存されているとか。境内墓地にはこの周辺を騒がせたという伝説の古狸を偲んで立てられた「狸塚」もあるようです。
 本堂横の建物でピンポンを押すと、ご住職がすぐに出てこられました。「般若心経の写経ですがいいですか」と聞くと「いいですよ」とのお答えでしたので、写経をおさめて納経印をいただきました。時宗の光触寺で写経をおさめたときに、お経をあげてくださったので、般若心経でもいいのかと気になってました。玄関には待つ間、座れる椅子(床几)がありました。
 納経:300円(志納ですが、500円玉を出したらお釣りをいただきました) お賽銭:10円 2007年9月28日(金)
    
 第十二番・中座山 教恩寺 (時宗) 聖観世音  

 

 

 ひっそりと佇む門をくぐると、木が第2の門をなしています。小さいながらもよくお手入れされたお庭です。   北条氏康が開基で創建年代は不明。光明寺の境内から移建されたと伝えられています。お寺の前身は、頼朝が平家一族の冥福を祈る為に建立し、阿弥陀三尊像を奉安した籠堂だそうです。 

 扉が閉じていて、向かって左にご朱印受付とありましたのでピンポンを押しました。女性がみえたので写経をおさめ、納経印をいただきました。拝観ができるのかたずねると、すぐに開けていただけるとのこと。本堂にあがって、ご本尊の阿弥陀如来の向かって右側に札所本尊の聖観世音が安置されています。かなり小さな仏像で、ご尊顔は私の視力では見えませんでした。あまり時間をかけても悪いかなと思い、合掌と礼だけですませました。
 納経:300円(志納) お賽銭:10円 2007年9月28日(金) 
     
 第十三番・稲荷山 別願寺 (時宗) 魚籃観世音

 オープンな雰囲気の入口に建つ門柱。ご本尊はめずらしい魚籃観音です。境内には足利持氏の墓と伝えられる鎌倉後期の石造りの宝塔が建っています。  創建年不明、1282年に真言宗から時宗へ改宗し、足利基氏・氏満・満兼三代の菩提寺として栄え、広大な寺領を有したそうですが今はその面影はありません。  

 魚籃観音は魚のカゴを持った女性の姿をしています。魚を売りながら布教をした乙女なのだそうですが、仏教と食べる為のサカナ売りという組み合わせがどうにも不思議です。美しい乙女に言い寄る男性をターゲットに布教したそうですので、サカナも仏教に縁遠い人たちを集める道具か、単に生活手段だったのか…
 こちら、平日は入口が閉まっていました。土日でないと拝観できないのかもしれません。本堂の扉があいていれば入口からご本尊を拝んでお経がよめます。(中にはあがれません)。納経印は本堂となりの玄関にてインターフォンを押して写経をおさめ、いただきます。 
 納経:300円(志納) お賽銭:10円 2007年10月13日(土)
    
 第十四番・随我山 来迎寺 (時宗) 聖観世音

 源家再興のために亡くなった三浦氏を弔う為に源頼朝が創建、大介義明の念持仏だった阿弥陀如来と観世音菩薩を奉安し、三浦一族の庇護で栄えた元は真言宗のお寺で、一遍上人の影響で時宗に改宗。     ひっそりとした趣のお寺ですが、境内に幼稚園があるので平日は賑やかそうです。法事か何かがちょうど終ったところでした。 

 境内にいらしたお寺の方に納経をお願いし、本堂の中も入らせていただきました。   境内の墓地にある三浦大介義明のお墓。 

 納経印をいただいてはじめて子育て観音とよばれていることを知りました。境内にいらしたお寺の方々がとても親しみやすく親切なお寺でした。納経印をいただくには通常は呼び出しかもしれません。
 納経:300円 お賽銭:10円 2007年10月13日(土)
      
 第十五番・円龍山 向福寺 (時宗) 聖観世音 

 お寺の家族の方がバイクの整備や庭木の手入れをされていて、古い建物の民家へ入るような感じでした。   閉まっていた本堂の扉を開けてくださったので、写経と納経帳を渡しました。
 開創(1282年)は光明寺(第十八番札所)に師事していた浄土宗の僧(一向上人)ですが、独自の布教活動が一遍上人の活動と同じということで時宗なのだそうです。 

 本堂の扉をあけていただいたので、納経印を待っている間に外からお経を唱えました。家のまわりにいらっしゃらない時は玄関で呼び出しかもしれません。
 納経:300円 お賽銭:10円 2007年10月13日(土)
     


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