鎌倉三十三観音霊場巡礼記−4

第二十四番〜第二十七番



 第二十四番 亀谷山 寿福金剛禅寺(臨済宗建長寺派) 十一面観世音      

 

 

 1200年に北条政子が栄西を開山として建てた、創建時は七堂伽藍が整っていた鎌倉五山第三位のお寺です。元は源頼朝の父、義朝の館跡で義朝の菩提を弔う草庵があった所だそうです。   外門をくぐり、苔の下ばえと高い木が並ぶ参道を進むと、山門で立ち入り禁止になります。 

 

 

 柵越しに立入り禁止の中を撮りました。高い木と整然とした緑のコントラストがきれいです。ご本尊へのおまいりもできません。仏殿の拝観は4月の鎌倉まつりの期間中のみです(その時もご本尊を拝めるのかどうかはわかりません)。  山門に向って右、立ち入り禁止の札がある先に納経受付所(庫裡)が。こちらのお庭もとてもきれいです。納経はご住職不在のため、書置きの御朱印に奥様が日付を書き入れてくださいました。 

 

 

 山門と庫裡の間に鐘楼があります。もちろん(立入り禁止なので)、つけません。
 山門に向って左側から裏山(源氏山)へ。そこには北条政子と源実朝の供養塔があります。境内に沿って進むと門がしまっていました。以前は通れたのですが、30年程前に近くの似たような崖が崩落して通行禁止になったそうです。この写真は門扉越しで、後からうかがったところ、この門は入ることができるそうです。陸奥宗光公のお墓がある関係で鍵をはずしたとか。上側の門扉は施錠されているので通り抜けはできません。

 

 

 上側から見下ろしてみました。やぐらがあるので確かに崩落しそうでもあります。でもこの通行禁止の道が雰囲気あって好きでした。現在は左の道を通り、山沿い上にある墓地をのぼります。  墓地を抜けるとやぐらが見えます。やぐらというのは、山などにあけた横穴(式墳墓)のことで、その中には五輪塔などの供養塔があります。   

 

 

  北条政子のやぐら、五輪塔です。安養院(鎌倉三十三観音第3番札所)にも政子の供養塔があり、どちらが本当のお墓かは知りません。ここのやぐらはきれいに四角く切り出されています。
  
  こちらは源実朝のやぐら、五輪塔です。実朝の胴体(首から下)が埋葬されているはずです。首は秦野市(波多野氏の領地だった)に首塚があります。

  案外、知られていないことですが、実朝を暗殺した公暁(実朝の甥)は首級を持って逃げます。三浦義村(実朝暗殺をそそのかしたとされる)の命令で公暁を殺害しようとした武常晴が、三浦氏と仲が悪かったとされる波多野氏を頼って実朝の首をあずけたとも、三浦氏が波多野氏に実朝の首をあずけたとも伝えられています。三浦氏が波多野氏にあずけたのは、祟りを畏れて胴と首を別々の場所に葬るためと言われています(別々の方が祟られそうですが当時はそう信じられていたようです)。 
    
 鎌倉駅からほど近いのに、八幡宮側のようなにぎやかさとは打って変わった落ち着いた雰囲気のお寺です。30年位前に門前で撮った写真がありますが、その頃はまだ白い千社札が多く貼ってありました。
 納経受付をしていただいた奥様からやぐら沿いの通行禁止についてお話をうかがいました。門の錠はあいているので(通り抜けはできないものの)入ることはできるそうですが、あまりの暑さに再度やぐらへ向かう気にはなれず、陸奥宗光のお墓はパスしました。墓地にあるという大佛次郎と高浜虚子のお墓も見つけられず…。

 納経印は書置きのものなので、自分で納経帳に貼りました。ハンコが薄くてさみしいです…。
  納経:300円 2008年7月18日(金)
   
 第二十五番 泉谷山 浄光明寺(真言宗泉涌寺派) 千手観世音   

  

 

 泉ヶ谷にある浄光明寺です。住所表示は寿福寺もこちらも扇ヶ谷ですが、このあたりは泉ヶ谷と呼ばれるところです。藤ヶ谷などこの辺りには谷戸(やと・鎌倉では谷と書いてやつと読みます)が多く、それをまとめて扇ヶ谷の地名となっています。  北条長時(執権6代)が真阿上人を頼んで開山、再興。再興というのは、この地に頼朝の願いで文覚上人が建てたお寺があったとも島津忠久(頼朝の庶子といわれている)が創建したお寺があったとも伝えられていて、どちらにしても元のお寺があったからのようです。

 足利尊氏が蟄居したこともあり、境内(寺域)だった藤ヶ谷には阿仏尼の子・冷泉為相が住んでいたそうです。ちなみに冷泉為相は藤原定家の孫、阿仏尼は「十六夜日記」の作者です。 

 

 

 入ってすぐ、楊貴妃観音という観音像がありました。泉涌寺には唐から持ち帰ったとされる楊貴妃観音があり、その模刻だそうです。「美人祈願」ですって。  左手にあるのは客殿と庫裡。境内は広く明るく、落ち着いた感じです。

 

 

 右手にあるのが不動堂です。ガラス越しにのぞいてみましたがよく見えません。  鐘楼。 鐘はつけません。 

 

 客殿横の庫裡で納経。そこからのながめです。ここも寿福寺と同じく、鎌倉らしい感じがします。  阿弥陀堂に向かう所に虚空蔵菩薩像がありました。台座は納経できるポストのようになってました。 

 

 

 石段を上ると立入り禁止。たぶん、これが阿弥陀堂ではないかと…拝観は木・土・日・祝の午前10時から12時、午後1時から4時にできるそうです(雨天・多湿の日は中止)。  立入り禁止エリアにある墓地。冷泉為相のお墓があり、山腹にはやぐらがあります。地蔵堂もあるそうで、尊氏の弟の為に矢を拾い集めたという矢拾い地蔵と、由比ヶ浜から引き上げた網引地蔵が安置されているそうです。

 阿弥陀堂が拝観できる日にまた訪れたいところです。 
 納経:300円 お賽銭:10円 2008年7月18日(金)
    
 第二十六番 扇谷山 海蔵寺(臨済宗建長寺派) 十一面観世音        

 

 

 14世紀後半、上杉氏定が再建した海蔵寺。もとは真言宗の寺跡で13世紀中頃、七堂伽藍が再建されたものの、鎌倉幕府滅亡の折に破壊されました。    近くには鎌倉十井のひとつ、「底抜けの井」があります。  

 

 

 左が薬師堂(仏殿)、正面が龍護殿(本堂)。落ち着いたなかなか雰囲気のいい境内です。  右手にある鐘楼。赤い傘のところで、十六の井戸を見るなら拝観料100円をおさめてしおりをいただきます。 

 右斜め前方の庫裡。オレンジ色ののうぜんかずらが建物に映えてきれいでした。  薬師堂の扉は開いていました。薬師三尊像や十二神将像が並びます。十二神将、もっと近くで見たい〜。この薬師如来は別名なき薬師とも呼ばれています。胎内に土中から発掘された薬師如来の仏面がおさめられていて、その仏面を発掘するまでの経緯の故だそうです。開山の源翁禅師が墓石の下から夜聞こえてくる子どもの泣き声がする場所を掘り返して出てきたからとか。 

 薬師如来の右側にある伽藍神像。伽藍神というのははじめて知りましたが、なかなかユニークです。中国の道教が元でしょうか。  本堂にておまいりします。きれいな本堂です。

 

 

 本堂の裏手にあるやぐらや庭園。やぐらは歩いて見られますが、庭園は遠望のみ。   薬師堂の1段下、手前の庭を左に進むと十六の井戸があります。(このやぐらっぽい所ではなく、もう少し歩いた所です)。

 

 

 窟の中に16個の井戸がある十六の井戸。直径70cm、深さ50センチくらいの井戸が16個あるので十六の井戸。16は十六菩薩を表現しているそうです。弘法大師が作ったとされ、開山当時は天災によって埋もれていた井戸を掘り返すようにと札所本尊の十一面観音による夢のお告げがあったとか。井戸の水で薬をせんじて飲めば悪病をことごとく払いのける霊験あらたかな水だそうです。水は澄んでます。飲んでみたい〜。  花の寺は桔梗とのうぜんかずらが見頃でした。 


 仏面の泣き声を聞いたり、十六の井戸にまつわる観音さまの夢のお告げを受けた開山・源翁禅師は、那須の殺生石を割り、石の霊を成仏させた有名な方ですって。(那須の殺生石は、あの玉藻の前に化けていた九尾の白狐が殺されて石と化し、近くのものを皆殺しにしていた石)。

 納経は庫裡で鐘を鳴らしての呼び出しでした。
 拝観料:100円(十六の井戸を見る場合のみ必要) 納経:300円 お賽銭:10円 2008年7月25日(金)
    

 第二十七番 若昇山 妙高院(臨済宗建長寺派) 聖観世音 

 

 

 妙高院は建長寺の塔頭で、受付(総門)を入ってすぐの右側にあります。一般の観光客は立入り禁止です。左の脇戸から入ります。妙高院は建長寺第28世住持・肯山開悟(覚悔禅師)の塔所です。  門を入って右に本堂、左に玄関があります。本堂は閉まっているので自分で開けると賽銭箱とお線香が。閉めている理由は、リスなどがお線香をいたずらするからだそうです。いたずらするところをちょっと見てみたい気も。

 

 

 本堂、広くてきれいです。達磨大師の絵がかけられています。札所本尊の聖観世音は鎌倉郡札所第九番本尊だったものだそうです。   おまいりをすませて振り返ると、細長いお庭越しに建長寺の三門が見えます。  

 玄関にて納経しました。
 拝観料:なし(建長寺は300円) 納経:300円 お賽銭:10円 2008年7月25日(金)
      


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