史跡景色・藤沢市−1
大庭城址公園 | |
大庭氏は平(村岡五郎)良文を祖とする坂東八平氏(鎌倉五平氏)のうちの氏族です。 11世紀、村岡城で生まれたとされる鎌倉権五郎景正(政)は良文から4〜5代目の子孫で鎌倉姓。この景正が私領を守るために大庭一帯(寒川や横浜の1部を含む)を伊勢神宮に寄進し、「大庭御厨」と呼ばれる地域となりました。大庭御厨の管理を引きついだ景正の縁戚の子孫が大庭氏、居城した城が藤沢の大庭城です。 12世紀、大庭景宗の息子のうち、景親や景義は保元の乱で源義朝について参戦します。平治の乱では平氏に負け、景親は処刑される所を平清盛に救われ、平氏寄りになります。 大庭景宗は所領を息子3人に分け、長男の景義は茅ヶ崎市円蔵(矢畑・浜之郷など含む)の懐島郷をもらって懐島太郎景義を名乗り、後に源氏について兄弟と袂を分かちます…真田幸村兄弟みたいですね(真田氏のようなどちらかが残って一族を残そうという腹積もりとかあったのでしょうか?そうは思えないけど) 弟の景親が大庭城をついで大庭三郎景親、1番下の景久は俣野郷(藤沢市と横浜市戸塚区)を与えられ俣野五郎景久を名乗ります。(戸塚区東俣野にある俣野観音はこの俣野五郎の持仏)。 懐島景義と違って、平氏についた大庭景親と俣野景久。源頼朝をしとどの窟へ敗走させた石橋山の戦いで大活躍し、富士川の合戦で敗北。ってことで、その後の運命は…。俣野観音のエピソードにつながります。 ちなみに石橋山の戦いの大将は景親。景久とその家臣、長尾為宗・定景兄弟は源氏の先陣を討ち取ります。長尾氏も鎌倉五平氏で、上杉謙信の先祖です。 鎌倉幕府樹立後、懐島景義は御家人として大切にされたようですが、和田の乱で和田氏(これまた坂東八平氏の三浦氏から分家)について大庭一族は滅びます。 |
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大庭城は12世紀頃の築城と伝わりますが、詳細はわかっていないそうです。今の遺構は15世紀に扇谷(おうぎがやつ)上杉定正の執事・太田道灌が本格的な築城を行った時のものとされています。…江戸城も建てた太田道灌は築城名人。 大庭城は城主が変わりながら、15世紀に扇谷上杉朝良が北条早雲に攻められ後北条氏の城となりますが、豊臣秀吉に後北条一族が滅亡させられて、結局廃城します。 |
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大庭城は南の一の郭から北の四の郭まで、東西に横断する空堀で、一の郭、二の郭、三の郭、四の郭と分けられていました。その空堀や土塁、周りの腰郭などが所々残っていて見ることが出来ます。 | 大庭城南側の入口は城址(館址)への近道です。舗装されていない道の左手には、2段の空堀(からぼり)や、帯状の腰郭も見ることが出来ます。 |
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大庭城址公園の正門(公園の北西側)より少し坂下にある無料駐車場から管理棟への階段。 | 正門、登城口は整備されていて管理棟があります。暗くて入りづらいですが、資料が展示されています。 |
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大庭城址についての説明版。 | 舗装されていない道の手前、主郭にあたる場所の端に大庭城址碑が建ってました。 |
公園正門(登城口)側から歩いてきて最初にある四の郭に沿ってある空堀(からぼり)をしめす碑です。 | 碑の裏側、1段低い芝生からみると空堀の段差がわかります。 |
三の郭にある空堀をしめしています。 | 碑の後ろ側、落ち葉に覆われた地面のへこみが空堀です。 |
二の郭の空堀をしめしています。 | 二の郭の空堀。 |
掘立柱建物址。昭和43年の発掘調査で確認された高床建築の柱穴の配列を示した石柱だそうです。実際の柱穴は現地表下50センチに保存されていて原位置では無いとのこと。一の郭(主郭)の敷地内ですが、この建物が大庭城の中でどんな役割を果たしたのかは、今のところわかっていないそうです。 | 南西にある腰郭とおぼしき所です。 |
大庭城址公園のほとんどは広い緑に包まれています。ここは四の郭跡で、周りには屋根つきベンチもあります。 | 三の郭か二の郭の東側には小規模のバラ園や紫陽花などが咲く花の広場などもあります。ここは四の郭と三の郭の段差があるところ(高くなってるほうが四の郭)。 |
秋に訪れると正門前から紅葉していました。 | 残念ながら紅葉する木が少なめで、遠目に見るほうがきれいでした。四の郭と三の郭の段差の植え込みは真ん中に赤いラインが出来て印象が変わってました。 |
城址公園からは旧石器時代の発掘物などもあり、竪穴式住居の表示が出ています(が、見つけられず…)。 大庭には城の敷地にあった場所に由来する地名が今でも残っています。「二番構」「裏門」「駒寄」「築山」など。「舟地蔵」というお地蔵さまもあり、これには後北条氏の大庭城攻略エピソード(哀話です)があります。 おまけ:城南の道路沿いに「大庭城最中」というのを売っている和菓子屋さんがあります。のぼりが立っているのを見たことしかないので、どういうお菓子かは知りませんけど。 |
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舟地蔵 | |
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城址公園南の入口の近く、舟地蔵の交差点です。国道1号線の城南交差点から県道43号を北上し、県道47号との分岐点。すぐ脇に屋根つきで舟地蔵がまつられています。 | 舟に乗ってる愛らしいお地蔵様です。旧舟地蔵がもっと南にあるそうです。横に案内板が立っており、この舟地蔵にまつわる哀しいエピソードが書かれています。 |
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二番構公園 | |
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大庭城に関連した地名のひとつ。城址公園の北にある二番構(にばんがまえ)公園です。横の交差点名も二番構だったのに今は保健医療センター前にかわりました。 | 井戸はありますが、これといった史跡はありません。 噴水のある整備された水の公園といったところです。 |
大庭5520あたり 駐車場なし 2008年6月18日(水) |
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裏門公園 | |
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こちらは裏門公園です。調整池の湿生地で中には入れません。鳥の見分け方などの説明版がある観察台もあります。 | 公園周りに設けられたのぞき窓や双眼鏡で観察できます。 |
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池にはコサギの姿が見えました。 | 調整池なので池になることもあるのかも。 |
大庭5400あたり(大庭中学となり) 駐車場なし。 2008年6月18日(水) |